甘辛問答無味感想 | vol.5 6月16日和菓子の日 その起源はちょっと意外な理由

6月16日和菓子の日
その起源はちょっと意外な理由

甘辛問答無味感想 vol.52022.06.03

甘辛問答無味感想 vol.5

きっかけは平安時代の

パンデミックだったそうです。

和菓子と感染症、

どういう関係があるのでしょう?

平安時代と言えば、王朝文化の最盛期。

源氏物語に枕草子、

あるいは源義経の悲劇など、

みやびで華やかなイメージですよね。

しかし、実際はそんなロマンチックな

雰囲気ではなかったようです。

毎年のように感染症が発生し、

都では多くの犠牲者が出ました。

医学的な知見の乏しい時代なので、

疫病を治める方法は基本的に

神頼みが中心でした。

848年、当時の仁明(にんみょう)天皇が

神様のお告げにしたがい

年号を嘉祥(かじょう)と改め、

6月16日に疫病退散の

大掛かりな祈祷を行いました。

その時に16個の菓子や餅を

神前に供えたらしく、

それがその後も「嘉祥菓子」として

伝承されていったそうです。

徳川家康もこの日の

お菓子くばりを大切にしたそうで、

この嘉祥菓子の伝統は江戸時代には

一大イベントに成長します。

最盛期には江戸城に

2万個の菓子が並んだとか。

それが民間にも普及して、

この日16文で16個の菓子を買って

食べる風習となりました。

しかし、16種のお菓子を

揃えるのは大変ですよね。

そこで「十六」の「一」と「六」を足して

「七嘉祥」という7種類のお菓子に

変化したのだとか。

(ん?それでいいのか?合理的?)

明治になって文化が洋風に傾き、

このイベントはすたれますが、

1979年に和菓子の日として復活します。

1979年は

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という

アメリカの経済学者の本が

ベストセラーになり、

YMOがアメリカで爆発的な

人気を博した頃ですね。

日本の思想や文化が

世界から高く評価され、

日本人が日本の文化を見直す

きっかけの年でもありました。

あれから40年以上経ち、

2022年の日本は

稀代の感染症新型コロナの影響から

抜け出そうとしています。

日本の文化の影響度は

世界にさらに深く広がり、

和菓子を含む日本食が

ユネスコ無形文化遺産になっています。

健康招福を願い、

日本の文化を楽しむ行事として、

和菓子の日は、

この時代にこそふさわしいのでは

ないでしょうか?

参考資料
虎屋文庫「和菓子を愛した人たち」
東京和菓子協会「6月16日は和菓子の日」

甘辛問答無味感想とは