
今年もすっかり、夏がきた!
梅雨のじめじめと、
太陽のまぶしさに圧倒される季節……
であるのと同時に、「七夕」の季節でもあります。
島根県松江市のお店から
七夕の和菓子がやってきました!
出雲国ーー
現在の松江市を含む、島根県東部のこと。
かつて政権があった大和から見て、
北西に位置することから
『日が沈む聖地』とされていました。
言わずと知れた出雲大社は、
日本書紀の中で、
「天日隅宮(あめのひすみのみや)」
という名で記されています。
その意味は、「日が沈む聖地に建てられた宮」。
日御碕灯台の近くにある日御碕神社は
「下の宮」と「上の宮」の二社から成り立ちますが、
そのうち下の宮の名前は、
ずばり「日沉宮(ひしずみのみや)」といいます。

まさに「日の沈む聖地」であり
日本の夜を守る場所とされる出雲国、
松江市の和菓子屋さんのつくる
「七夕」をイメージした和菓子。
なんだか、ぴったりだと思いませんか?
旧暦10月には神様が集うとされる“稲佐の浜”に
夕日が沈むと、やがて夜がおとずれます。
濃紺の夜空に浮かび上がる星たちを見ると、
私たちが存在するこの地球も、
「天の川銀河」を構成する天体の中のひとつである、
という壮大な事実を思い起こさせてくれます。
天の川や、
きらめく七夕の夜を彷彿とさせる、
島根県松江市発信のお菓子たちをご紹介。

深く透き通った空の色、
それぞれの光度や距離感をも感じさせる星々、
天の川のようにいちめんに渡り、たゆたう雲……
「彩雲堂」さんのつくる
神秘的な涼菓
「満天」

松江三大銘菓「若草」を復刻させた
「彩雲堂」さんのつくる「満天」。
寒天で作る錦玉羹(きんぎょくかん)と
小豆羹の間に、
夏の夜空をそのまま仕舞いこんだような容貌。
流れる雲をイメージしたミルク色の模様は、
ひとつとして同じものがないそう。
お味も夏らしく、
あっさりとしながらも上品な小豆の風味が
ふんわりと口の中にひろがります。

<期間限定>
満天(島根/彩雲堂)

空いちめんに渡る天の川の、息を呑むような色彩。
地平線上の夜空を想起させる、やわらかな小豆色。
ひときわ大きく瞬く星はベガ、それともアルタイル?
「風流堂」さんのつくる
彩り豊かな涼菓
「あまの川」

松江三大銘菓、
また日本三大銘菓とされる「山川」を復刻させた
「風流堂」さんのつくる「あまの川」。
天の川が放つ光を連想させる「錦玉」と、
風流堂ならではの「朝汐羹」を合わせた、珠玉の品。
「朝汐羹」は、
小豆の皮を丁寧にのぞいて作った
「朝汐餡」を使用したもの。
風流堂さんの代表銘菓「朝汐」にも使われる餡で、
こしあんよりも色が淡く、
癖のない風味が特徴です。
さっぱりとした品のよい甘さが、
暑い季節にぴったり。

<期間限定>
あまの川(島根/風流堂)

星が一番うつくしく映る昏い空のような
こっくりとした小豆色の上で、
金銀の星々がさざめく
「三英堂」さんによる
端正な涼菓
「満天」

松江三大銘菓のひとつ「菜種の里」を復刻させた
「三英堂」さんによる「星の林」。
菓銘の「星の林」は、
たくさんの星が集まる様子を表す言葉。
現存する最古の和歌集『万葉集』では、
柿本人麻呂が夜空の美しさに感動して詠んだ、
とされる歌に登場しています。
「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
(天の海に雲の波が立ち、月の船が星の林に漕ぎ隠れていくのが見える。)
(万葉集 巻七・一〇六八・柿本人麻呂)
鮮やかな色を使わずに、
こしあんに小豆を混ぜてつくる「小倉羹」と
金粉と銀粉のコントラストだけで
「星の林」を表現した、渾身の一作です。
洗練されたうつくしさと、
錦玉と小倉餡の異なる食感を堪能して。

<期間限定>
星の林(島根/三英堂)

いまだから出逢える
「七夕」にちなんだ和菓子たちを、
この機会にぜひ。
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実は知らないかも?七夕のあれこれ
中国の「七夕」に由来する日本のお祭り。
「五節句」のうちのひとつです。
五節句って?
奇数が重なる日に無病息災を願う行事「節句」。
奈良時代に中国から日本に伝わった「節句」のうち、江戸時代に、代表的な5つを祝日として制定したのが「五節句」です。
1月7日:七草の節句
3月3日:桃の節句
5月5日:端午の節句
7月7日:七夕の節句
9月9日:重陽の節句
このうち、「七夕の節句」が七夕にあたります。
ここからは、七夕に関するキーワードをご紹介。
知っていると、毎年の「七夕」がもっと素敵なものに感じられるはず。
中国から日本に伝来した七夕の行事
乞巧奠(きこうでん)
七夕の由来のひとつである「乞巧奠」。
元はといえば、機織りの上手な織女(織姫星)と牽牛(彦星)のふたつの星に
裁縫の上達を願うための行事でした。
「奠」という字には、「神様へのお供え」という意味を持ちます。
お供えをして、技術が“巧み”になるように願い“乞う”ことから、
乞巧奠という名前なんですね。
平安時代の頃には宮中行事になり、
裁縫だけではなく、詩歌や管弦楽の演奏などの芸事の上達も願うように。
願い事をするときには、里芋の葉に溜まった露を集めて墨をすり、
梶の葉に歌をしたためていました。
昔は旧暦7月(いまの8月)に行われていたこの行事。
このごろの里芋の葉は大きく広がり、また水をはじく効果を持つためか、
天のしずくの受け皿のように見えたことでしょう。
「願い事を書いた短冊を飾る」という七夕の日の風習は、
「願いを込めて梶の葉に歌をしたためる」という乞巧奠の慣わしからきているのです。
日本独自の風習
笹に吊るす「短冊飾り」
「願いを込めて梶の葉に歌をしたためる」乞巧奠の風習が、
「願い事を書いた短冊を飾る」に転じたのは、いつなのでしょうか。
その答えは、
七夕の風習が広まり、五節句のひとつになった江戸時代にあります。
江戸時代に入り、日本の各地に寺子屋ができると
そこに通う子どもたちも増えました。
寺子屋で学ぶ子どもたちが書道などの手習の上達を願うため、
七夕の日に短冊を使って願いを書くようになったといいます。
当時使われていた短冊は、青、赤、黄、白、黒の五色。
それぞれの色に意味があり、自分の願い事に対応する色の短冊を使用することで、願いが叶いやすくなると信じられていました。
ちなみに「乞巧奠」には、短冊と同じ五色の糸を飾る慣わしがあります。
青、赤、黄、白、黒の五色は、
自然界のすべてを木、火、土、金、水に当てはめて考える「陰陽五行説」に由来しています。
短冊飾りに欠かせないのが、それを吊るすための笹。
天に向かってまっすぐ伸びる姿や、冬の寒さへの強さから、神聖なものとして考えられてきました。
「さらさら」と表現される葉の音は神様を招く音ともいわれています。
空高く伸び、神様を招く笹。
天の神様に願いを捧げるのにぴったりですね。
今だから知りたい
七夕伝説
天の川の両岸に、天帝の娘である織女(織姫)と、牛飼いの青年である牽牛(彦星)が住んでいました。
織女は織物の名手、牽牛は働き者の牛飼いであるとして知られていましたが、
愛し合うようになったふたりは、次第に仕事を疎かにするように……。
これに怒った天帝は、ふたりを天の川の両岸に引き離しました。
会うことが許されたのは、年に一度、7月7日のみ。
織姫と彦星は、7月7日ーー七夕の日にだけ、
カササギの群れが架ける橋を渡り、会うことが叶ったのでした。