カステラは和菓子か?
甘辛問答無味感想 vol.342025.12.02
以前から、心の片隅に引っかかっていたことがあります。
カステラって、和菓子なのか?
◇
カステラの見た目は、
どうみても、お饅頭よりケーキに近いです。
そもそもポルトガル由来のお菓子ですよね。
でも、老舗のカステラはどれも、和の装いに包まれているし、
当「旅するように和菓子と出会う」でも、
ひとつのジャンルとして取り扱われています。
こういう時は、ネットで検索するのが一番。
入力「カ・ス・テ・ラ・は・和・菓・子?」
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AIがクールに答えてくれました。
「カステラは和菓子に分類されます」。
やっぱり、そうか。
◇
今更なぜ、こんな、分かりきった前振りをしたのかというと、
『和の思想:日本人の創造力』(岩波現代文庫)という本が、
滅法面白くて、とても勉強になったのですが、
この本が「カステラは和菓子か?」問題から始まっていたからです。
◇
著者である俳人の長谷川櫂さんも、昔から
「カステラは和菓子なのか?」と思っていたそうです。
そこで、ある時に和菓子業界関係者に確認したところ、
和菓子の定義が、
「江戸時代の終わりまでに日本で完成していたお菓子」
となっているが故に、
「カステラは和菓子に分類される」との答えだったそうです。
つまり、和と、そうでないものの境界が、
明治維新というタイミングにある、
そういうことなんですね。
境界線の引き方としては実に明快ですが、
しかし、それでいいのか?
そんなモヤモヤが
長谷川さんの中でずっと渦巻いていて、
いろいろ考察に考察を重ねた結果、
「和」とは、島国の歴史的遺産のようなものではなく、
もっと創造性に満ちた運動体なのではないかと思い至り、
「和の思想」として結実したというわけです。
曰く、「異質のものの共存こそ、和の創造力である」と。
◇
「ちょっと、何言ってるかわからない」状態ですが、
私なりに要約すると、
和食、和服、和室などの和の様式が、
江戸時代の終わりで、バシッと切れているのは、
それだけ、明治以降の西欧化が急激だったことを意味しています。
そもそも、和というカテゴリーは、
西欧化が一気に進む中で、それまでの日本的な様式と
区別するために生まれたものです。
西欧化がなければ、わざわざ「和」でくくる必要ないですもんね。
やがて、西欧的な暮らしが標準になるにしたがい、
逆に和服、和室の方が珍しくなってしまい、
今では、「和」の方が特別なものになってしまったわけです。
実際、私の家に和室はないし、和服を着ることも稀です。
もっとも和食と和菓子は、よく食べてますけどね。
◇
さて、ここからが本題なのですが、
長谷川さんは、江戸時代以前の和の文化も、
実はその大半が外来文化なのだと喝破します。
日本は島国であり、江戸時代に鎖国していたので、
日本の文化は、多くがオリジナルなものと錯覚しそうですが、
歴史をひもとくと、古代から大陸との交易や往来が頻繁に行われ、
鎖国時代も、結構活発に交易が行われていたようです。
ただ、日本の面白いところは、
外来文化をそのまま受け入れていないことです。
代表的なものが文字です。
元々、日本に文字はありませんでした。
そこに中国から漢字が入ってきました。
しかし、漢字をそのまま使うのではなく、
母語としての日本語に合うようにアレンジして、
仮名を発明して、独自の文字体系を確立しています。
その後、英語の影響を受けることになります。
それも巧みに取り込んで独自の外来語を生み出し、
見事に、日本語として消化吸収してしまいます。
この貪欲なまでの消化力が、和の創造力であり、
今も機能しつづけている、ということです。
◇
カステラは、ポルトガルから伝来しました。
スポンジケーキによく似ています。
材料もほとんど同じです。
ふんわりと軽いスポンジケーキに対して、
カステラはしっとりとしていて、食べ応えがあります。
なんと言っても、カステラはそのまま食べるものです。
デコレーションしなくても、それだけで完成しています。
言い換えると、カステラは、長い年月をかけて、
日本人の味覚と、お茶に合うように、
独自に進化して来たということです。
そう考えると、カステラが何時代に渡来しようが、
正真正銘の和菓子と考えるべきなのだと、
ようやくここに来て、
私のモヤモヤもスッキリしました。
◇
和の文化は、古いから貴重なのではありません。
長い時間をかけて独自に進化し、
21世紀でも十分に輝いているから、
海外でも評価されていると考えられます。
直線で構成され、すべての角が直角に揃えられた
長方形のカステラは、
バウハウス的モダンデザインのようですが、
いやいや、違います。
障子や畳に見られる、
日本人の合理性と美意識が結びついた、
和の美しさなのです。
シンプルな線で描かれた浮世絵や、
同じ構図を繰り返す静謐な小津映画が、
海外で賞賛され、多くの追随者を輩出しているのも、
日本的なエキゾチズムなんかではなく、
その美しさが本質的だからです。
私はそう考えています。
となると、私は、ここで反省しなくてはいけない。
何事も見た目だけで分類してはいけないということ。
カステラ問題は、日本人かどうかを、
肌の色や髪の色で決めるようなものですから。

